スペイン、そして能登から

スペインと能登のことを主に書いています。

石川県能登地方 不便なところ?

関東地方では、誰に聞いても「いいところですね」と言われる。

何を以てそう言われるのかは、よくわからないが、自然環境が良いところ、美味しいものがたくさんあるところ、だろうか。

 

テレビの旅番組でも、田舎の美しい風景だけが取り上げられるので、そう思うのも仕方がない。住むにはかなり過酷な面もある。

高校生の頃、冬の朝、バス停でバスを待っていると、いきなり波を被ってしまうことがあった。これではもう学校に行けない。次のバスは2時間後なので、遅刻になる。

小学生の頃は、朝は降っていなかった雪が、学校にいる間に降り出し、気が付けば積もっていて、海岸線を走る路線バスが止まることがあった。その時は山道を1時間ほどかけて歩いて帰ることになった。うさぎやキツネに遭遇したものだが、今では猪が出るので、一人で山道を歩くなど、とんでもないことらしい。

上下水道が完備された都会と違い、冬には山水を引いている水道が凍結、夏は水不足のため、川で洗濯した。汚水は海に直通で、生ごみを海に直接すてる場面もあった。はるか半世紀も前のことなので、今ではそんなことはしていないと思う。

海沿いなので、風も強く、TVのアンテナが違う方向を向いてしまい、TVが映らなくなることもあった。今はケーブルテレビなので、そんなことはないらしい。

全国的な問題でもある猪の出現も頻繁らしく、大好物のイモ類は全滅らしい。

 

決して便利ではなかった。でも、それを不便とは感じていなかった。その生活しか知らなかったからだ。

今では、かなり便利になったと思うが、それでもそんなに変わらないようにも思う。

交通の面から行けば、不便そのものになった。バスがない。朝と夕方の通学用のバス以外はほどんどない地域がある。どこの家にも車があるので、バスの利用客がいないためだ。車のないご高齢の方などはどうしているのだろう、と考えてしまう。

 

スペインに旅行に行き、人里離れた修道院などに行きたいと思い、バスを探すと同じ現象がある。朝、村から近くの大きな町に出るバスと夕方町から村に帰る一往復しかないことがほとんどだ。タクシーを利用するか、夕方行って一泊するか、どちらかになる。

その上、土日は運休する。日本では土日運休がない分、まだいい。

 

観光も車でないと、かなり大変なことになる。

昨年の秋、横浜から輪島市門前町にある阿岸本誓寺に行くご夫婦と新幹線でお会いした。何年か前のガイドブックを持っていて、そこには金沢から門前町への直通の急行バスのことが掲載されていた。ところが、このバスは既に配線となっている。奥様はどうしても本誓寺に行きたいとのことで、ご自分で調べて金沢から七尾線で七尾、七尾からのと鉄道で穴水、穴水から路線バスで門前、門前でバスを乗り換えて最寄りのバス停まで行くというルートを説明してくださった。気が遠くなるような話だ。しかも帰りはバスがないので、タクシーを呼ぶしかないということ。よくぞ、ここまで来てくださいました。すごいなぁ・・・と思った。

阿岸本誓寺といえば、おととしの「行く年くる年」でも放映された有名な浄土真宗のお寺。たまたま、マドリードでスペイン版「行く年くる年」的な番組を見ていたら、NHKの映像が映ったので、ちょっと嬉しかったことがある。

それなのに、金沢から来るのにこの大変さは何だろう!

観光バスのツアーでしか、来なくていいということ?

 

急行バスが配線になったことは、利用者が少ないのだらか仕方がない。でも、このご夫婦には申し訳ない気がした。

本誓寺を楽しんで帰ってくださっていることを祈る。

 

 日本中が便利になった中で、ここはずっとこの状況で、この先ますます不便になる。

何年か後にはなくなる市町村が話題になるが、ここはあと何年だろう?

 

聞くところによると、阿岸本誓寺の近くに移住して来た方があったらしいが、すぐに撤収されたとか・・・

便利だから住むのか、不便でも、ここが好きだから住むのか・・・

難しいところだ。

マドリード 治安

20世紀の終わり頃には、マドリードは非常に危険な街と言われていた。

特に日本人観光客は、そのパスポートを目当てに狙われていた。パスポートは偽造して、日本人と顔のよく似た国の方々が不法入国するために使用されていたとか・・・

 

この頃、空港からのバスが着くコロン広場の地下では、バスから降りる観光客目当てに、大量の首絞め強盗が発生したという。既にこのターミナルはなくなっている。空港からのバスもアルカラ門、シベーレス広場、パセオデル・プラドを通って、高速鉄道の発着するアトーチャ駅に着く。しかも24時間運航だ。5ユーロもするが。

空港からは地下鉄もある。今年から地下鉄運賃に空港入場料がなくなったので、地下鉄を使えば1.5ユーロで市内に行くことができる。但し、長旅の疲れで注意散漫になってスリや置き引きにあったりしないよう注意が必要だ。路線バスも空港バスと同じところに止まるので、これでアベニーダ・デ・アメリカまで行くことができる。Suicaのようなカードがあるので、これを購入すると便利。

 

1990年代終わりから2000年代初めは、治安についてスペイン在住の皆様が運営するいくつかのサイトで注意喚起されていて、大変参考になった。それを思うと、治安はよくなったものだ・・・

ソルにも、たくさんのヒターノの皆さんがいた。ちょっと怖かったものの、何かをされるわけでもなかった。

 

地球の歩き方」などによれば、スペインはバックパッカーが多いところで、飛行機も夜遅くに就く安い航空会社を選び、夜遅くや朝早くの暗い時間に移動する方が多かったことも原因らしい。領事館の過去一か月の邦人被害を見ると、なるほど、と思うこともある。また、裕福な方々は現金を大量に持ち歩くことがあったらしく、レイア・ソフィア芸術センターの中庭で70万円が強盗の被害にあうという事件があった。

ロエベやリヤドロなどの高級な品物が入った紙袋を持って歩いていて、ひったくられたりすることも多かったらしい。「地球の歩き方」を持っているのも日本人ということで、青い部分を削って持ちあるく人もいたり、いろいろなところで、中身が見える透明なバックやレジ袋を持ち歩くとよい、というアドバイスがあると、100均などで売っている透明なビニールバックを使用する方も。中身が見えると何が良いかと言えば、パスポートやお財布などは入っていません、というアピールらしいが、この透明なバックにお財布、カメラが入っていることを社会に公表しながら歩く方々も多くあり、せっかくのアドバイスの意味が理解されていないことが残念だった。

 

上智大学スペイン語講座でご一緒した方々の中にも、被害にあった方が何人かいた。

日本人の目印はウェストポーチだそうだ。これを切り取って持っていかれたという方がいた。ソルやグラン・ビアあたりのオスタルでは、外の扉を開けている間に複数の強盗に取り押さえられて被害にあうとか、あの頃はそんなニュースばかりだった。

不幸にも、亡くなった方もいる。今でも年配の方々には、マドリードと言えば、首絞め強盗を連想する方が多いと思う。

 

治安が良くなった理由の一つが、2000年代に入ってからのオリンピック誘致だろう。

あの頃から街がきれいになり、川沿いも開発され、セゴビア橋周辺もゴヤの時代のような風情だったものが、現在的なきれいな公園になった。

また、キャッシュレス化が進み、現金を持ち歩かなくなったこと、テロの危険性もあることから、警察組織がある程度機能してきたこともあるだろう。とにかく、外貨獲得には中国の皆様をはじめとする観光客に来てもらおうことが重要だと気が付いたらしい。

 

中国人の観光客が増加したことで、マドリードは大きく変わった。

今では中心部のホテルやバール、レストランでは英語はもちろん、中国語を話す従業員が増えている。中には中国人の従業員もいて、いきなり中国語で対応されて「我是日本人」というと、何も言わずに去っていく方もいる。プラサ・マジョールの観光案内でも、いきなり中国語で話しかけられたのには驚いた。あのフランスのシャルル・ド・ゴール空港でさえ、標記がフランス語と英語、中国語なのだから、このくらいは当然なのだろう・・・ プラド美術館にも中国人の係が常駐するようになった。

オリンピック誘致合戦の頃は、どこに行っても英語、英語で、英語を話さない観光客には意外と冷たかった。中には自分は英語が出来るから雇われたので、私に英語を使ってほしいというレストランの従業員もいた。そんなこともあり、いつの間にか宿泊も食事もセントロから外れていくようになった。

 

あのリーマン・ショックの時には、中心部から少し離れた橋の下などにホームレスが住んでいて、怖い思いをしたこともあるが、自分が慣れてきたせいか、治安上の問題はほぼなくなったと思う。置き引きなどはどこの国でもあることなので、これはスペインに限ったことではない。

 

振り返ると、デモの出発地を通りがかって、一緒にデモをすることになったり、アフリカ人の露天商の大移動に巻き込まれたり、スリがポケットに手を入れて来たので、手を握り返したり・・・何もないわけではない。でも、無事にすごしていることは、とてもありがたいことだ。

 

マドリード 簡単な歴史

MADRID

Es capital de España.

Tiene muchos sitios bonitos , museos , palacios , bares , restaurantes , etc....

 

マドリードは、スペインの首都で、イベリア半島のほぼ中央部の盆地にある。

ローマ時代から人が住んではいたものの、さほど重要ではなかった。

「Mayrit」と書かれていたらしい。ローマやアラブの影響もあれば、ドイツ系の西ゴーゴ族の影響もある。王宮の近くにはアラブの城壁が若干残っている。

Plaza de San Andres にある「Museo de San Isidro」では、ジオラマや3Dを使って、先史時代からのマドリードの歴史を展示している。アラブの時代の城壁がどんどん広がって今の街になっているのがよくわかる。

 

首都となったのは、1561年、フェリペ2世の治世下。

いわゆる「Siglo de oro」(黄金世紀)という時代もあったが、実はかなり財政的に逼迫していたらしい。それでも、ベラスケスをはじめとする絵画、セルバンテスやローペ・デ・ベガ、ケベードなどの文学や演劇などの芸術家が活躍する時代だったらしい。

 

18世紀には、王朝がハプスブルグ家からブルボン家に変わったため、文化的にも大きく変わった。フランスからきた王様、太陽王ルイ14世の孫にあたるフェリペ5世は、フランスに未練たらたらで、庭をベルサイユ風にするなど、よほどスペイン風はお好みでなかったらしい。この王様が即位する時には、ハプスブルグ家やポルトガルなど、かつての王様の孫にあたる世代の人々の間で「継承戦争」が勃発して、欧州の広い範囲で戦争となった。そもそも、カルロス2世という王様は虚弱体質で、後継者を望めなかったということにある。カルロス2世の肖像画プラド美術館にもあるが、いかにも近親結婚の末にこうなりました、という感じだ。ちょっとアルフィーの高見沢さんに似ている。

 

ハプスブルグ家とブルボン家、一番よくわかるのは紋章だろう。例えば、アウストリアス地区の建物にあるのはハプスブルグ家の紋章「双頭の鷲」。ウイーンのホーフブルグ宮殿などにもあるのと同じだと思う。一方、ブルボン家は百合。これもベルサイユ宮殿などフランスでよく見かけるものと同じ。ブルボン家になって以降に建てられた建物には、この百合の紋章がある。外見だけでも、地味好みのフェリペ2世の影響もあり、ハプスブルグ時代の建物は地味だが、ブルボン家になってからは、比較的派手。建物だけでなく、プラド美術館の歴代王様の肖像画を見ても、ファッションががらりと変わりっているので、その嗜好の違いがよくわかる。

今の王様はブルボン家の方になるが、お母様はギリシャ王家の王女様で、欧州で最も高貴な血筋らしい。王妃様は元国営放送のキャスターで、結婚歴があり離婚もしているが、教会での結婚ではないので、ないことになるらしい。この王妃様、何年か前は公式の場にMANGOやZARAなどの国産のファスト・ファッションのブランドをお召しになって登場されて話題になったことがある。

 

マドリード市立歴史博物館には、マドリードの歴史が一目でわかる展示がある。ショッピングやバール巡りでにぎわうFuencarralにあり、入場は無料。

他にも、「黄金の世紀」に活躍した王の寵臣の屋敷が文化センターになっていて、展示のほとんどが無料で見ることができたり、建物自体からもかつての大貴族の邸宅がどのようなものであったかを想像することができる。(Conde Duque)

 

マドリードを観光している人の話を聞くと、思った以上に田舎だったとか、特に見るものはないというネガティブな声が多いので、個人的にはとても悲しい。

歴史といっても、世界史の中で注目されたのは新大陸発見とかレコンキスタ、市民戦争くらいだから、仕方がない・・・

最近はフットボール、タパスなどもあるが、某州州都のあそこに比べると退屈なところかも・・・と卑屈になってしまう。

 

 

 

 

 

2019年1月スペインの旅

1月3日から2週間ほど、スペインに行ってきた。

レアルマドリード対ラ・レアル・ソシエダ、対レガネスの2試合を見るのがメインの目的だった。

フットボール観戦でなにが便利になったかと言えば、日本の能登の田舎にいてもインターネットを通じてチケットが買えるようになったことだ。

 

始めてレアルマドリードのホームスタジアムであるサンティアゴ・ベルナべウで試合を観戦した時のこと。チケットを買うために8月下旬の気温約40度の炎天下に2時間並んだ。ジダンが移籍した年で、対戦相手はマラガ。当時のマラガには、ウルグアイ代表のダリオ・シルバパナマ代表のデリー・バルデスが所属していた。試合は1-1の引き分け。まだジダンに合わせられないフィーゴがイライラして途中で退場になった。

 

 

フットボール観戦が目的というものの、もう一つ、やってみたいことがあった。

プラド美術館のHPに年間パスというものがあって、これを購入することだ。HPには書いてないけど外国人はダメとかあるといけないので、窓口で聞くと、大丈夫だった。お値段は36ユーロ。3回の入場で元がとれる。その上、全国の国立美術館で使える。スバラシイ! マドリード市内では「ゲルニカ」のあるレイナ・ソフィア芸術センターやソロージャ美術館などで使える。

 

他には何も考えていなかったが、「サラマンカ」という地名が頭をよぎり、なぜか、サラマンカに行くことにした。

今、セルバンテス・センターで通っているクラスの先生がサラマンカ大学で美術を学んでいて、なんとなく気になっていたのだろうと思う。早速、先生にメールでサラマンカの見どころと美味しいものを教えてもらった。

 

マドリードサラマンカ、2都市の旅になった。

 

能登って、どんなとこ?

能登のイメージ、どんな感じだろうか。

まずは地理的な位置を確認すると、石川県の上半分くらい、日本海に突き出た半島。

まるで玉(能登島)を加えた竜が右を向いているような形。

市町村の合併があったので、今では市や町の名前もよくわからない。

一部が輪島市に、一部が鳳珠郡という新しい郡になった鳳至郡や

なくなってしまった富来町などなど・・・

 

よく聞くのは、「奥能登の秘境」という言葉。

秘境・・・アマゾンの秘境、アフリカの秘境など、文明からとても遠いところ。

確かに、方言はわかりにくい、バスは一時間に一本、厳しい自然環境、半農半漁の

自給自足生活イメージ、おじいさんとおばあさんしかいない・・・などなど

NHKの朝ドラ「まれ」の舞台にもなったが、「本当にこんなところに住んでたの?」と

聞かれることが多かった・・・

 

テレビの旅番組で放送されるのは、輪島塗、輪島の朝市、製塩、ランプの宿、のと鉄道能登島水族館、千枚田、あぜのきらめき、和倉温泉、なぎさドライブウェイ、キリコ・・・あげてみると、かなりある。

 

小学校の時に運動会の踊りの演目だった「能登めぐり」という唄があって、その中には当時の能登の風物詩がもれなく歌われていた。しかし、今ではグーグルでも検索にかからない。おぼろげな記憶をたどってみると・・・

七尾城、山車祭、能登島舳倉島、朝市、輪島塗、狼煙、能登金剛、能登はやさしや土までも・・・こんな名所が歌われていた。

 

最近は日本で最初の世界農業遺産が売りだが・・・だから、何? と、よく言われる。

 

しかも、半島の中でもかなり文化が異なる(と思う)

住んでいたのは、輪島市門前町。そのため、お隣の富来町(現 志賀町)を経由して

金沢へ行くのが便利だった。七尾や穴水にも買い物に行くことはあったが、輪島に行くことはめったになかった。ましてや珠洲なんて・・・という感じだった。

小学校のバス遠足で一応、能登一周をした記憶はあるが、内陸の方は海側とは全く違いうところだと感じた。

 

フェイスブックで情報をいただいている「能登スタイル」さんのサイトを見ても、

輪島の方とは、なんだか違うなぁ、やっぱり都会な感じがする、人口密度が高い!

 

要するに、一言では言い表せない奥深いところだということ。

 

 

この先何年かの内に、能登への移住(?)を検討している。しかし、実家のある地区には戻れない。金沢への直通のバスがなくなり、これから年寄りになる自分が住むにはかなり不便、病院通いすることになれば、死活問題になる。

住むなら金沢や東京へのアクセスもいい七尾あたりが現実的な線だろうと思っている。

しかし、東京に出て30年以上、この都会の便利さに染まった自分が今さら能登に住めるのか? しかも文化が違う地区に? 

そこで、能登の今について、調査してみようと思った。

その中で能登がどんなところかという答えが見つかればいいと思う。

それで移住を断念することになっても、それはそれでいい。

 

能登について、間違いないこと。

食べ物がおいしい!

スペイン、美食で知られるバスク地方サンセバスチャンのバールより、おいしいものもある。いつかは星をもつレストランのシェフに「Konka-Iwashi、maravilla!」とかいわせたいものだ。SNSを駆使して「いしり」とか売り込んでやろうか?!

 

能登はスペインのコスタベルデからガリシア地方にとても似ている。

ガリシアの海、大西洋だが、これを見たときに日本海と同じだと思った。

ガリシア人、スペイン人に言わせると田舎者で、謎めいた人たち。

なんとなく人も似ているのかも。

 

能登とスペインのことは、また別のテーマとして書いてみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜ、ブログを書き始めた? その2(ボディトーク療法)

会社を辞めるのはいいが、これからどうする? 田舎に帰る? 他を探す?

まずは、付き合っていた人の実家に身を寄せることになった。

ところが、会社を辞めたとたんに、「ムカつくから、会いたくない」というメールが!

韓流ドラマのような展開だなぁ、と思いながらも、こちらも連絡をしないことに。

近所のコーヒー屋さんの奥さんには、「動く前でよかったね」と慰められた。確かに。

去年の夏、今住んでいるところの賃貸契約の更新をする際に、大家さんから

なかなか手入れが行き届かないから、家賃を下げさせてほしいという申し出があり、

このあたりでは破格の賃料に! 

神様と仏様、ご先祖様は、先のことを考えてくださっていたのか・・・南無阿弥陀仏

そんな時、週一回通っていたヨガのクラスの先生の元同僚の方がとある療法を

なさっていると聞き、具体的には何もわからなかったが、なんだか、自分はここへ行くのが良さそうだと思い、紹介していただいた。10月の下旬だった。

予備知識は全くなかった。ちょうど、説明会もあったので、こちらにも参加したいと思ったら、満席とのこと。

ホームページで情報を収集するが、イメージがわかない・・・

私の言葉では伝えることが不可能なので、以下リンクで。

www.bodytalkjapan.com

結果、以下のレポートをいただく。(抜粋)

1 2歳の時の両親のケンカを見たことがトリガーとなり、自尊心が低く、

  目上の人には従うようになる。過去の傷が自信を失わせる・・・等々

2 前の職場の社長、今回退職する直接の原因となった人々から解放し、自分の

  望んでいるものを見出す・・・ キーワード:イザナギイザナミ

3 胎児期に大脳皮質に影響し、トラウマを蓄積しやすくなる。

  夜中に肝臓が要・不要を分配できないため、蓄積され固まっている。

4 小腸の識別力の低下。攻撃に対して整理がつかない。物が捨てられない。

  怒りの感情を解放、副交感神経優位を動かす。

  右脳的な感性、人とのつながり・調和、自分の居場所、自分の使命を探す。

 

なんのことかと思うだろうが、自分のことなのでよくわかる。とてもよくわかった。

「自尊心が低い」、その通りだ。そうでなければ、あの職場でこんなに長く働いていないだろう。

イザナギイザナミは、「調和」を意味するらしい。この時は、そうかと思った程度だったが、その後、これは重要なキーワードになる。イザナギは、亡くなった妻イザナミに会いに冥界に行くが、既に冥界の食物を食べてしまっていたイザナミは、腐乱死体状態。そのあまりにも恐ろしい姿を見たイザナギは逃げ出してしまう。イザナミイザナミで、そんな姿を見られたことを恥じ、イザナギを殺そうと追いかけるが、イザナギは逃げ切って、冥界から戻ってくる。

自分は在職中に、とても信頼している方々がいたのだが、ボディトークを受けた3~4日後に、衝撃的な事実を知った。私が信頼し一緒に仕事をしていたと思い込んでいた人は、ことあるごとに「これは課員が言った」と、あたかも私が言っているように人前で言っていたらしい。退職した会社は現在、2つの派閥がいわゆる勢力争いをしているという、これも韓流ドラマのような状況だが、その方の発言を聞いた反対勢力の方々は、私が余計なことを吹き込んでいると考えたらしく、私を異動させたというのだ。

私にそのことを言った人は、私がそれを知っていたと思っているらしいが、そんなことは夢にも思わなかった・・・ これがイザナミの正体だった。

他にも、自分が信じて疑わなかったことが、実は・・・ということがいくつもあり、しばらくは人間不信になりそうだった。

こんなことを書けば、なんとスピリチュアルな世界!と思うかもしれないが、心を静めてこの方との関係を思い出していけば、どこかの時点からは怒りや恐れや不満があったのに、それに蓋をしてきたことに気づいた。

ハローワーク労働基準監督署の相談コーナーでも、直近のパワハラだけでなく、異動前の管理者の在り方にも問題があると指摘され、ショックではあったものの、悪い夢から覚めたような気がした。同時に、どうしても消えなかった左肩、背中の痛みが軽減していた。歩き方も変わったらしく、長時間歩いても疲れにくくなった。

小腸の「識別力」や肝臓の働きもよくなったようで、断捨離が始まった。最初は考えながらだったものが、2週間ほどすると、手にとった瞬間に要・不要がわかるようになった。嘘のような本当の話だ。断捨離と同時に家の中の物の置き換えが始まった。

本棚、押入れの中・・・考えなくても勝手に物が置かれていくという感覚。

今となっては、何を捨てたのかも思い出せないくらい、物を捨てた。

本当に思い出せない、つまり、必要でないものを持っていたということだった。

気が付いたら、5年ほど付き合ってきた「適応障害」に関する諸症状がほぼ改善されていた。

                                  ー続くー

なぜ、ブログを書き始めた? その1(パワハラで退職!)

昨年、20年ほど勤めた会社を辞めることになった。

どこかの業界で大流行したパワハラが原因だった。

恐ろしいもので、自分が悪くないのに、

いつの間にか、全て自分が悪いと思い込むようになり、

心身ともに疲れ果ててしまった。

パワハラの加害者は、ペアで仕事をしていた人と課の課長が

二人かがりであったことと、課内では見て見ぬふりをされ、

どこにも逃げ場所がなかった。

この会社は、ハラスメントや社員のメンタル面での不調については

たいへん意識が低く、これまでも多くの方が長期休暇をとったり、

中には長時間勤務のストレスが原因で重病になった方、亡くなった方もいる。

ちなみに、この会社での恐ろしい状況を書いてみると・・・

 ・課内で3名が出勤不可能な状況で、その分を仕事をなんと、私がすることに!

 ・休んでいる3人の内1人とペアだった方が体の方の不調で、その仕事もふられた!

 ・次の課はなんと2名とアルバイトさん。仕事を人に渡したくないというタイプの

  方で、毎日仕事を探すことから始めるという非生産的な状況に!

 ・この方は、アルバイトさんをいじめるので、見ていてもつらい!

 ・ちなみに上司の方は、見て見ぬ振り・・・

 ・その方が異動、次にきたのはなんとうつ病の課長さん!

  長い時は3か月以上も出勤しない中、一人で業務を行うが、会社としてのサポート

  は全くなかった!

 ・ようやく一人増員となり、新しい方が異動してきたが、この方、全く仕事をする

  気配がない! しかも言動がおかしい!

 ・ということで、カウンセラーに相談したところ、発達障害傾向にあるのでは?

  とのこと。人は増えても、面倒見る人が増えただけ・・・

 ・やっと、うつの上司の方が異動、新しい上司の方々(課長と部長)が来て、

  ほっとしたのも束の間、仕事は減らない、いや、新しいことを始めたため、

  仕事は増える一方に!

 ・発達障害傾向の方と遂に衝突! 上司には休みたいと言うが、無視!

 ・そんな状況が2年ほど続いたあと、実際に辞める原因となった部署へ異動・・・ 

 ・そこでは、お母様の介護しているという女性と一緒に仕事をしたが、自分の存在を

  アピールするために仕事をきちんと教えず、彼女がいないと困る状況を自己演出し

  ていた。

 ・実は彼女、これまでも一人退職に追い込み、一人病気にするという実績のある方。

  常に超緊張状態で、言っていることと本心が違うので、言っていることを真に受け

  ると、ひどい目にあう・・・

 ・この彼女とこの課の課長さん、そっくりで、息もピッタリ! 言っていることも

  おかしいこともあれば、完全に八つ当たりのことも・・・

 ・去年、海外旅行に行った時に、彼女に首を絞められる夢を見て、限界を感じた。

 

心療内科に通い、投薬とカウンセリングを続けていたが、

良くなる気配もなく、どうしたものかと思っていたところ、

お世話になっているヨガの先生が紹介してくれたのか、

「ボディトーク療法」。

何を、どうなるのか、全く予備知識はなかったが、

これは自分に必要なものだと、漠然と思った。

そして、そうだった。この療法に巡り合っていなければ、今これを書いていない。

この療法につながるきっかけを作ってくれたヨガの先生には、感謝しかない。

                           -続くー